【読売】信長を魅了した戦国武将・蒲生氏郷 秀吉は要所を任せつつ才覚を警戒 滋賀県日野町で町おこし
滋賀県日野町の日野川ダム付近に、戦国武将・蒲生 氏郷うじさと (1556~95年)の居城、中野城(日野城)はあった。昭和時代のダム建設などで遺構の多くは失われたが、今も堀や土塁の一部が残る。訪れた人を出迎える鳥居や石積みは、廃城後に造られたものだという。
氏郷は織田信長をも魅了した知将で、信長は娘を氏郷の元に嫁がせた。豊臣秀吉は氏郷に要所を任せつつも、その才覚を警戒していたようだ。茶道やキリスト教などにも精通した知識人でもあった。
中野城は氏郷の祖父、定秀が1530年代に築いたと伝承される城館で、1596~1615年の間に廃城となったとされる。本丸は約100メートル四方の広さで、周囲(東西約800メートル、南北約600メートル)を土塁や堀で囲っていたという。城下町の特産の一つが日野鉄砲。氏郷の尽力で有数の鉄砲鍛冶集団「国友衆」を生んだ長浜市に並ぶ生産拠点となったと伝わる。
本能寺の変を受け、信長の妻子はこの城に身を寄せた。功を立てた氏郷は、伊勢松ヶ島(三重県)、会津(福島県)へと国替えし、短期間で約6万石から約92万石の大名に上り詰めたが、40歳で亡くなっている。
…続きはソースで。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220324-OYT1T50144/
2022年3月26日 18時52分
氏郷は織田信長をも魅了した知将で、信長は娘を氏郷の元に嫁がせた。豊臣秀吉は氏郷に要所を任せつつも、その才覚を警戒していたようだ。茶道やキリスト教などにも精通した知識人でもあった。
中野城は氏郷の祖父、定秀が1530年代に築いたと伝承される城館で、1596~1615年の間に廃城となったとされる。本丸は約100メートル四方の広さで、周囲(東西約800メートル、南北約600メートル)を土塁や堀で囲っていたという。城下町の特産の一つが日野鉄砲。氏郷の尽力で有数の鉄砲鍛冶集団「国友衆」を生んだ長浜市に並ぶ生産拠点となったと伝わる。
本能寺の変を受け、信長の妻子はこの城に身を寄せた。功を立てた氏郷は、伊勢松ヶ島(三重県)、会津(福島県)へと国替えし、短期間で約6万石から約92万石の大名に上り詰めたが、40歳で亡くなっている。
…続きはソースで。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20220324-OYT1T50144/
2022年3月26日 18時52分
なんで滅んだの
氏郷の嫁は信長の娘
もし信長存命なら大大名っすなあ
もし信長存命なら大大名っすなあ
会津の大名家って録な目に遭ってないイメージ
>>18
伊達のせいでな
伊達のせいでな
家康の監視をしつつ伊達にも目を光らせないといけない
ブラックな環境で若死にした人
ブラックな環境で若死にした人
がぶちゃん
ノブヤボだと鉄砲スキル強い
信長か滝川一益かこいつって感じ
信長か滝川一益かこいつって感じ
これと言った見せ場に欠けるからマイナーなのはどうにもならんよな
>>39
一般人はまず知らないね
ただ戦国時代好きを公言して知らないというのは恥ずかしいレベルの人でもある
一般人はまず知らないね
ただ戦国時代好きを公言して知らないというのは恥ずかしいレベルの人でもある
>>27
同時代の人の評価が高い。
信長が実力を全く発揮していない段階で姫を上げてるというのが破格だし、その後文字通り槍片手にの戦働きで領地をどんどん得ていて、実力主義と言われる信長の配下でもそのスピードは破格。
秀吉の時代になっても、秀吉の直属の家臣団でなく、逆に信長の血族という立場で、異例のスピード出世をしていて、秀吉家臣団の中では石田三成などを凌ぐ。
同時代の人の評価が高い。
信長が実力を全く発揮していない段階で姫を上げてるというのが破格だし、その後文字通り槍片手にの戦働きで領地をどんどん得ていて、実力主義と言われる信長の配下でもそのスピードは破格。
秀吉の時代になっても、秀吉の直属の家臣団でなく、逆に信長の血族という立場で、異例のスピード出世をしていて、秀吉家臣団の中では石田三成などを凌ぐ。
>>45
近江では蒲生はそこそこの家格近江の地侍の取りまとめ役として安土城留守居役としての評価
秀吉時代は三成たち家臣とは別の外様的ポジションで優遇されたが大崎一揆や伊達との確執でも手玉に取られっぱなし
奉行や部隊長としての有能さはあったかも
近江では蒲生はそこそこの家格近江の地侍の取りまとめ役として安土城留守居役としての評価
秀吉時代は三成たち家臣とは別の外様的ポジションで優遇されたが大崎一揆や伊達との確執でも手玉に取られっぱなし
奉行や部隊長としての有能さはあったかも
>>71
武将運だよね
島津家が京に近い領地なら
もっと活躍してたifみたいなもん
武将運だよね
島津家が京に近い領地なら
もっと活躍してたifみたいなもん
>>121
結局は伊達家が生き残ったせい
勝ったほうが歴史を創作する
結局は伊達家が生き残ったせい
勝ったほうが歴史を創作する
信長の野望より
蒲生氏郷
政治80、戦闘77、教養72、魅力73、義理4、相性3、(武将風雲録全シナリオ)
政治89、戦闘85、智謀83、農商建登、騎突、足軽B、騎馬B、鉄砲C、水軍E (将星録)
統率90、武勇82、知略84、政治89、義理78、築城&騎馬&鉄砲A、足軽B、内政S (革新)
蒲生氏郷
政治80、戦闘77、教養72、魅力73、義理4、相性3、(武将風雲録全シナリオ)
政治89、戦闘85、智謀83、農商建登、騎突、足軽B、騎馬B、鉄砲C、水軍E (将星録)
統率90、武勇82、知略84、政治89、義理78、築城&騎馬&鉄砲A、足軽B、内政S (革新)
>>132
こいつと大谷なんとかは過大評価の典型
実績ないやつはもっと点数低くしろ
こいつと大谷なんとかは過大評価の典型
実績ないやつはもっと点数低くしろ
戦国時代好きの俺だが全く知らん
大方の有名大名は知ってるんだが
本当に有名な人?
大方の有名大名は知ってるんだが
本当に有名な人?
独眼竜政宗で寒がってる人のイメージしかないわw
>>200
戦争で強くて、内政でも凄くて、外交にそつがなく、魅力があることが史実で証明されている人の評価を低くしろという方がわからない。
戦争で強くて、内政でも凄くて、外交にそつがなく、魅力があることが史実で証明されている人の評価を低くしろという方がわからない。
>>202
ただし、確か街作りは残念なんだったかw
ただし、確か街作りは残念なんだったかw
ノブ野望でも能力高いひと
以外と知られてないのか
スレ見て愕然とした
スレ見て愕然とした
>>304
蒲生氏(がもうし、かもうし)は、日本の氏族の一つ。代表的な一族に下記が挙げられる。
近江蒲生氏 - 藤原秀郷を祖と称する藤原北家の一族で、近江国蒲生郡の発祥。
大隅蒲生氏 - 藤原教清を祖とする藤原北家の一族で、大隅国蒲生院の発祥。
蒲生氏(がもうし)は、日本の氏族の一つ。中世以降藤原北家秀郷流を称し、近江国蒲生郡を中心に勢力を築いた。
室町時代には近江国の守護大名となった六角氏に客将として仕えた。
戦国時代の初期の蒲生貞秀は、守護の六角高頼をよく補佐し、六角氏の戦国大名化に貢献したが、
嫡男の秀行が早世したため、その死後に嫡孫の蒲生秀紀と子の蒲生高郷との間に争いがおき、高郷が勝利し以後は高郷系が当主として続いた。
高郷の子の蒲生定秀は六角氏の宿老として活躍するが、蒲生賢秀の代に六角氏が織田氏に滅ぼされると、
蒲生氏は織田氏に属し、賢秀の子である蒲生氏郷が織田信長の娘婿に迎えられるなど重用されたため、
織田政権とそれを継承した豊臣政権において蒲生氏は大大名として大きく躍進した。
しかし、名将として知られた氏郷が若くして没した後も当主の夭折が続き、
徳川幕府の大名として存続することには成功したものの、孫の蒲生忠知の代に後継がなく蒲生氏は断絶した。
きみって当然氏と姓と本貫あるよね?
蒲生氏(がもうし、かもうし)は、日本の氏族の一つ。代表的な一族に下記が挙げられる。
近江蒲生氏 - 藤原秀郷を祖と称する藤原北家の一族で、近江国蒲生郡の発祥。
大隅蒲生氏 - 藤原教清を祖とする藤原北家の一族で、大隅国蒲生院の発祥。
蒲生氏(がもうし)は、日本の氏族の一つ。中世以降藤原北家秀郷流を称し、近江国蒲生郡を中心に勢力を築いた。
室町時代には近江国の守護大名となった六角氏に客将として仕えた。
戦国時代の初期の蒲生貞秀は、守護の六角高頼をよく補佐し、六角氏の戦国大名化に貢献したが、
嫡男の秀行が早世したため、その死後に嫡孫の蒲生秀紀と子の蒲生高郷との間に争いがおき、高郷が勝利し以後は高郷系が当主として続いた。
高郷の子の蒲生定秀は六角氏の宿老として活躍するが、蒲生賢秀の代に六角氏が織田氏に滅ぼされると、
蒲生氏は織田氏に属し、賢秀の子である蒲生氏郷が織田信長の娘婿に迎えられるなど重用されたため、
織田政権とそれを継承した豊臣政権において蒲生氏は大大名として大きく躍進した。
しかし、名将として知られた氏郷が若くして没した後も当主の夭折が続き、
徳川幕府の大名として存続することには成功したものの、孫の蒲生忠知の代に後継がなく蒲生氏は断絶した。
きみって当然氏と姓と本貫あるよね?
>>308
六角の武将だった蒲生氏は藤原北家の本流でもないし、藤原北家の本流は別途繋がっているから藤原の直系でもない。
そもそもこの辺りの血統図はどこまで信じられるかはかなり微妙。
言えることは信長にとって当時の蒲生は気にする必要も持ち上げる必要も全くないただの滅ぼした武将のまたものだということだ。
六角の武将だった蒲生氏は藤原北家の本流でもないし、藤原北家の本流は別途繋がっているから藤原の直系でもない。
そもそもこの辺りの血統図はどこまで信じられるかはかなり微妙。
言えることは信長にとって当時の蒲生は気にする必要も持ち上げる必要も全くないただの滅ぼした武将のまたものだということだ。
>>308
六角の武将だった蒲生氏は藤原北家の本流でもないし、藤原北家の本流は別途繋がっているから藤原の直系でもない。
そもそもこの辺りの血統図はどこまで信じられるかはかなり微妙。
言えることは信長にとって当時の蒲生は気にする必要も持ち上げる必要も全くないただの滅ぼした武将のまたものだということだ。
六角の武将だった蒲生氏は藤原北家の本流でもないし、藤原北家の本流は別途繋がっているから藤原の直系でもない。
そもそもこの辺りの血統図はどこまで信じられるかはかなり微妙。
言えることは信長にとって当時の蒲生は気にする必要も持ち上げる必要も全くないただの滅ぼした武将のまたものだということだ。
>>299
家忠日記は天正五年から始まっていて、要するに信康騒動の開始後なのでポジショントークが入っている。
実際家忠日記で断罪している徳姫に、家康は徳川幕府の成立後知行地を与えているので、家忠日記の記述はそんなに信頼できない。
家忠日記は天正五年から始まっていて、要するに信康騒動の開始後なのでポジショントークが入っている。
実際家忠日記で断罪している徳姫に、家康は徳川幕府の成立後知行地を与えているので、家忠日記の記述はそんなに信頼できない。
>>317
〉 家忠日記は天正五年から始まっていて、要するに信康騒動の開始後なのでポジショントークが入っている。
天正三(1575)年な
しかも信康騒動もいつなのかも知らないとは
家忠日記の中身さえ見てないのも分かる
〉 家忠日記は天正五年から始まっていて、要するに信康騒動の開始後なのでポジショントークが入っている。
天正三(1575)年な
しかも信康騒動もいつなのかも知らないとは
家忠日記の中身さえ見てないのも分かる
>>302
は?
徳川にいいように操られて、恩のある秀吉を裏切り、用が済んだらあっけなく滅ぼされて終わりの使い捨てキャラ。
惨めなものだよね。
は?
徳川にいいように操られて、恩のある秀吉を裏切り、用が済んだらあっけなく滅ぼされて終わりの使い捨てキャラ。
惨めなものだよね。
>>61
あんたがたどこさ♪
あんたがたどこさ♪
何かに言っても、人間長生きした者の勝ちだわなあ
>>407
中朝韓に不利益がなければ原則スルー、それがパヨクの行動原理ですよ
中朝韓に不利益がなければ原則スルー、それがパヨクの行動原理ですよ
大活躍したのが、信長没後だからなあ
秀吉の天下統一事業なんて消化試合くらいにさっさと終わったからな
信長存命時代に活躍した奴らはかなり名前が知られてるイメージ
秀吉の天下統一事業なんて消化試合くらいにさっさと終わったからな
信長存命時代に活躍した奴らはかなり名前が知られてるイメージ
1600年まで生存していたら1番歴史が変わりそうな武将筆頭は誰だろうか?
>>390 くんの指摘する歴史のIFってのは興味深くて
まあ身もふたもない結果を言えば>>406 くんが言う通り
誰かが生きていれば…あるいは亡くなってれば、
その後ががらりと変わるからねえ。
まさに1600年だったら、戦国の英傑はね、大抵生きてても驚かないw
それこそ秀吉が生きてたらどうだとかねw
スレでは信長公はもちろんのこと信玄公まで名前が出ているけど
信玄公でも謙信でも海道一の弓取り先生でも1600年なら
生きてて不思議ない年齢だからね。八十路超えてますがw
現役で将帥やるのは難しくても後見はできるんでね。
まあ、さすがに毛利元就先生となると百歳越えで苦しいが。
まあ身もふたもない結果を言えば>>406 くんが言う通り
誰かが生きていれば…あるいは亡くなってれば、
その後ががらりと変わるからねえ。
まさに1600年だったら、戦国の英傑はね、大抵生きてても驚かないw
それこそ秀吉が生きてたらどうだとかねw
スレでは信長公はもちろんのこと信玄公まで名前が出ているけど
信玄公でも謙信でも海道一の弓取り先生でも1600年なら
生きてて不思議ない年齢だからね。八十路超えてますがw
現役で将帥やるのは難しくても後見はできるんでね。
まあ、さすがに毛利元就先生となると百歳越えで苦しいが。
>>7
これが破格なんだよね。
大大名でもなく、家臣団の重鎮やその血族でもなく、対立している敵の調略等の関係でもなく、14歳の初陣直後に姫をというのはどう考えても破格。
これが破格なんだよね。
大大名でもなく、家臣団の重鎮やその血族でもなく、対立している敵の調略等の関係でもなく、14歳の初陣直後に姫をというのはどう考えても破格。
>>21
蒲生は上洛に欠かせない要地を支配してた
蒲生は上洛に欠かせない要地を支配してた