織田信長の人物像・人間像について考える
織田信長像というものは、明治以後も現代に至るまで、例えば神国である日本における、桶狭間の戦いのような奇跡的な勝利を挙げる軍人のモチーフとして現れたり、慣例にとらわれずに合理的な手段で改革を進める型破りな組織のリーダーや経営者の姿として、
時に応じて、断続的なものではないものの、断片的に日本人の精神の中にその姿を見せる存在となっています。
織田信長の人物像・人間像すなわち織田信長像についてみなさんで考えていきましょう。
時に応じて、断続的なものではないものの、断片的に日本人の精神の中にその姿を見せる存在となっています。
織田信長の人物像・人間像すなわち織田信長像についてみなさんで考えていきましょう。
著書とは色々と書き手の思惑があるのが当たり前。
残念ながらそれに引っかかってしまうのも当たり前。
桶狭間の戦いなんかもそのひとつ。
織田と今川の当時の石高はそうは変わらなかったはず。
織田にはあの広大な濃尾平野があるからね。
なのに皆が知っているあの兵力差は何?
あんな大差最初からある訳ない。
そんなに力の差があるなら、とっくの昔に織田は滅ぶか今川の家臣になっとる。
おそらく兵の数は倍も変わらなかったはず。
それに今川は上洛軍ではなく、織田を滅ぼし、ただ領地拡張を狙っただけ。
現実は織田が兵1万で、今川が兵1万7千、こんな感じだったのでは!
本拠地の織田が勝っても何ら不思議ではない。
寧ろ織田からしてみれば攻め込んできてくれて有難う、だったのでは。
サッカーに例えると、長い時間相手にボールを持たせておいてひたすら守りながらも、そのボールを奪うと一気に攻め上がる堅守速攻だったのでは!
本音を言えば、織田が勝って当たり前だったような気さえする。
残念ながらそれに引っかかってしまうのも当たり前。
桶狭間の戦いなんかもそのひとつ。
織田と今川の当時の石高はそうは変わらなかったはず。
織田にはあの広大な濃尾平野があるからね。
なのに皆が知っているあの兵力差は何?
あんな大差最初からある訳ない。
そんなに力の差があるなら、とっくの昔に織田は滅ぶか今川の家臣になっとる。
おそらく兵の数は倍も変わらなかったはず。
それに今川は上洛軍ではなく、織田を滅ぼし、ただ領地拡張を狙っただけ。
現実は織田が兵1万で、今川が兵1万7千、こんな感じだったのでは!
本拠地の織田が勝っても何ら不思議ではない。
寧ろ織田からしてみれば攻め込んできてくれて有難う、だったのでは。
サッカーに例えると、長い時間相手にボールを持たせておいてひたすら守りながらも、そのボールを奪うと一気に攻め上がる堅守速攻だったのでは!
本音を言えば、織田が勝って当たり前だったような気さえする。
貿易盛んにしても日本から売れるものがほとんどないんで金銀が流出するだけな気が
海運握る方向に行くべきか
海運握る方向に行くべきか
寄せるにも色々方法論があるし
史実を踏まえて寄せたらあんまり叩かれないんじゃないかな
大河関係のツイートを覗くと最近の歴史研究を踏まえて、そこをこう解釈してきたか!みたいな展開だと受けは良い。
史実を踏まえて寄せたらあんまり叩かれないんじゃないかな
大河関係のツイートを覗くと最近の歴史研究を踏まえて、そこをこう解釈してきたか!みたいな展開だと受けは良い。
黒沢の影武者の信長も大きいと思う
桶狭間の圧倒的戦力差っつー話も実は怪しいんやろ
最近は今川義元最強説や浅井長政豪傑説をよう見るで
当時の京でもやらないような牛車や御輿に乗ってる勘違い公家モドきの太ってキモいおっさんと優柔不断でお家を滅ぼした典型的ボンボン
素直に考えたらこんなもんやろ
このへんも信長さんの凄さを際立たせるために盛ってるんちゃうの
最近は今川義元最強説や浅井長政豪傑説をよう見るで
当時の京でもやらないような牛車や御輿に乗ってる勘違い公家モドきの太ってキモいおっさんと優柔不断でお家を滅ぼした典型的ボンボン
素直に考えたらこんなもんやろ
このへんも信長さんの凄さを際立たせるために盛ってるんちゃうの
死後最も早く描かれた肖像画だと信長はいびつな形の頭で長い顔で左頬っぺたにほくろがあったな。なんか怖いって言うより気だるそうなオッサンだった
信長、秀吉、家康はサンカの出身だという説があるけど、
ココの人たちはそれどう思う?
ココの人たちはそれどう思う?
そんな説はない
>>146
なんで?
なんで?
信長公記に若き日の信長の鷹狩りの様子が描かれているが
①「鳥見の衆」と呼ばれる斥候を各地に先行させ、どこにどんな鳥がいるか調べて
獲物を見張り、1名は報告に戻る
② 鐙にわらを巻き付けた「馬乗り」が、鳥のまわりをゆっくりと乗り回しながら
徐々に獲物に近づく
③ 馬乗りの陰に隠れていた信長と鷹匠が飛び出して鷹を放つ
④ 獲物の周りで百姓に扮して田を耕していた「向待ち」が鷹が組み付いた鳥を押さえる
獲物の情報を得たうえで、獲物には自分の存在を悟らせないまま虚をついて仕留める。
ここまで読むと信長は桶狭間で義元相手にこれをやったのだと気づく。
よって桶狭間の戦いは、基本奇襲であったと自分は考える。
①「鳥見の衆」と呼ばれる斥候を各地に先行させ、どこにどんな鳥がいるか調べて
獲物を見張り、1名は報告に戻る
② 鐙にわらを巻き付けた「馬乗り」が、鳥のまわりをゆっくりと乗り回しながら
徐々に獲物に近づく
③ 馬乗りの陰に隠れていた信長と鷹匠が飛び出して鷹を放つ
④ 獲物の周りで百姓に扮して田を耕していた「向待ち」が鷹が組み付いた鳥を押さえる
獲物の情報を得たうえで、獲物には自分の存在を悟らせないまま虚をついて仕留める。
ここまで読むと信長は桶狭間で義元相手にこれをやったのだと気づく。
よって桶狭間の戦いは、基本奇襲であったと自分は考える。
>>164
それは厳しいと思う。
>善照寺砦で報告を受けた
仮にこんな事になってたなら、その後の信長公記にある記述と矛盾してしまうと思う。
なぜなら、信長公記において、信長が桶狭間山の敵に向かおうとした時に、
家臣達が引き留めて、それに対して、信長はそれが疲弊した今川勢前衛だと説明してるように思う。
だけど、仮に善照寺の砦の時点で、桶狭間山にいるのが今川義元本陣だという情報が織田勢にもたらされていたなら、
家臣達に信長が桶狭間山にいるのが今川勢前衛だと言っても、困惑されるだけに思う。
そもそも、信長公記の桶狭間の戦いにおいて、家臣達が信長を引き留めているのは、その前の善照寺の砦からの移動の時もそうと思われ、
この時に信長を引き留めたのは、信長公記を読むと重臣達のように思うから、
信長が桶狭間山の敵に向かおうとした時に、それを引き留めようとしたのも、重臣達に思う。
なので、重臣達であるなら、善照寺の砦の時点で仮に桶狭間山にいるのが今川義元本陣だという情報が、
織田勢に入っていたら、それを知ってるはずに思うので、
その重臣達に対して、信長が桶狭間山にいる敵を今川勢前衛だというのは、個人的にあり得ないと思う。
それは厳しいと思う。
>善照寺砦で報告を受けた
仮にこんな事になってたなら、その後の信長公記にある記述と矛盾してしまうと思う。
なぜなら、信長公記において、信長が桶狭間山の敵に向かおうとした時に、
家臣達が引き留めて、それに対して、信長はそれが疲弊した今川勢前衛だと説明してるように思う。
だけど、仮に善照寺の砦の時点で、桶狭間山にいるのが今川義元本陣だという情報が織田勢にもたらされていたなら、
家臣達に信長が桶狭間山にいるのが今川勢前衛だと言っても、困惑されるだけに思う。
そもそも、信長公記の桶狭間の戦いにおいて、家臣達が信長を引き留めているのは、その前の善照寺の砦からの移動の時もそうと思われ、
この時に信長を引き留めたのは、信長公記を読むと重臣達のように思うから、
信長が桶狭間山の敵に向かおうとした時に、それを引き留めようとしたのも、重臣達に思う。
なので、重臣達であるなら、善照寺の砦の時点で仮に桶狭間山にいるのが今川義元本陣だという情報が、
織田勢に入っていたら、それを知ってるはずに思うので、
その重臣達に対して、信長が桶狭間山にいる敵を今川勢前衛だというのは、個人的にあり得ないと思う。
呉座勇一の新書が信長などの武将の神格化・人気に至るまでの過程を書いたものだった。
>>176
信長公記を読むと、信長が秘匿してる傾向なんてまったくないように思うんだけど。
>>165にあるような感じで、信長が独自に情報を得ている形跡もないと思うし、
重臣達がそれを知らないという論拠もないように思うのに、
なんで君はそんな事を書くのか、そっちの方が疑問に思うけど。
>>175
そんな事を言ったら、信長奇襲説の基になったと思われる、甫庵信長記の描写、
一応同時代の他家の記録である甲陽軍鑑、太田の記録である信長公記、の全てで
桶狭間の描写は違ってるように思われるのに、君がそんな事を書いたってしょうがないと思う。
織田側の家臣である太田がまとめた信長公記の方が、比較的他の資料よりは信ぴょう性高そうに思われる、
っていうだけの話だと思う。
信長公記を読むと、信長が秘匿してる傾向なんてまったくないように思うんだけど。
>>165にあるような感じで、信長が独自に情報を得ている形跡もないと思うし、
重臣達がそれを知らないという論拠もないように思うのに、
なんで君はそんな事を書くのか、そっちの方が疑問に思うけど。
>>175
そんな事を言ったら、信長奇襲説の基になったと思われる、甫庵信長記の描写、
一応同時代の他家の記録である甲陽軍鑑、太田の記録である信長公記、の全てで
桶狭間の描写は違ってるように思われるのに、君がそんな事を書いたってしょうがないと思う。
織田側の家臣である太田がまとめた信長公記の方が、比較的他の資料よりは信ぴょう性高そうに思われる、
っていうだけの話だと思う。
思う思うのレス乞食は菅沼遼太といわれる人?
>>167
おや、また菅沼認定厨さんと思しい君は、菅沼認定なんかをしようとしてるのかな、と思うけど、
その菅沼認定については、ワッチョイスレにおいて、菅沼認定をされた特徴が違う何人もの人々がいたように思うし、
その矛盾について、菅沼認定をしている人が、ろくに答えられてないように思うのに、
そんな事を書いてもしょうがないと思うのだけど、どうなのかな。
いい加減、君自身でさえ、その矛盾についてろくに答えられないように思われる認定を、
他人にしてもしょうがないと思うんだけど、どうかな。
むしろ、ワッチョイスレにおいて、菅沼認定厨さんと思しき人が、IDコロコロや他人を装う事をしている可能性が高い事を指摘されてたように思うのに、
それで君がそんな事を書くのはどうかと思う。
おや、また菅沼認定厨さんと思しい君は、菅沼認定なんかをしようとしてるのかな、と思うけど、
その菅沼認定については、ワッチョイスレにおいて、菅沼認定をされた特徴が違う何人もの人々がいたように思うし、
その矛盾について、菅沼認定をしている人が、ろくに答えられてないように思うのに、
そんな事を書いてもしょうがないと思うのだけど、どうなのかな。
いい加減、君自身でさえ、その矛盾についてろくに答えられないように思われる認定を、
他人にしてもしょうがないと思うんだけど、どうかな。
むしろ、ワッチョイスレにおいて、菅沼認定厨さんと思しき人が、IDコロコロや他人を装う事をしている可能性が高い事を指摘されてたように思うのに、
それで君がそんな事を書くのはどうかと思う。
>>173 >>174
だから、>>179にも似た事書いたように、信長公記をそのまま読めば、
信長は丸根、鷲津の砦に攻撃が仕掛けられた情報を受けて、急いで出撃したように思うので、
この時点で信長が今川義元本陣の所在を知っていた形跡は信長公記には、少なくともない様に思うし、
シンプルに考えれば、これは丸根、鷲津を攻撃されて、その救援の為に急いで出撃した、としか解釈の仕様がないように思うけど。
そもそも、これまた上記179にも似た事書いたように、信長が今川義元本陣を狙おうと思うのは結構だけど、
それを可能にするには、今川義元本陣が、信長がそれを攻撃可能な位置や状況にいないと厳しいように思う。
今川義元本陣が、そんな都合いい場所に出てきてくれるかは完全に未知数で、
仮に出てきてくれていたとしても、その前に今川軍前衛がいて、それを守護していたら、
それこそ信長の計画は厳しいと思う。
さらに、これまた上記179にも似た事書いたように、義元本陣が大高城にでもいたら、それこそ信長の計画はお手上げ、っていう事になってしまうと思う。
そもそも、信長公記においての桶狭間の描写を基にしてさえ、豪雨が来なかったら、
信長勢が今川義元本陣に勝てたか疑問に思うし、不確定要素が多すぎると思う。
そもそも、上記179にも似た事書いたように、今川義元本陣が桶狭間山まで移動したのは、
丸根鷲津が攻略された後のように思うので、
信長公記において、信長が丸根、鷲津の砦が攻撃された事を報告され、急いで城を出た時点では、
義元本陣は桶狭間山になんかいなかったと思う。
この時点で、丸根、鷲津が攻略された後に、今川軍前衛の松平勢が後方に下がり、
今川義元本陣が桶狭間山にまで出てくる事を想定可能な情報なんか、特にない様に思う。
なので、信長は特にそんな事を当てにしないで、上記179にも似た事書いたように、
丸根、鷲津を攻略した後の今川軍前衛が、
順当に引き続いて前に出てくる事を想定し、疲弊したその軍勢を攻撃して勝利しようとしていた、
っていうだけに思う。
だから、>>179にも似た事書いたように、信長公記をそのまま読めば、
信長は丸根、鷲津の砦に攻撃が仕掛けられた情報を受けて、急いで出撃したように思うので、
この時点で信長が今川義元本陣の所在を知っていた形跡は信長公記には、少なくともない様に思うし、
シンプルに考えれば、これは丸根、鷲津を攻撃されて、その救援の為に急いで出撃した、としか解釈の仕様がないように思うけど。
そもそも、これまた上記179にも似た事書いたように、信長が今川義元本陣を狙おうと思うのは結構だけど、
それを可能にするには、今川義元本陣が、信長がそれを攻撃可能な位置や状況にいないと厳しいように思う。
今川義元本陣が、そんな都合いい場所に出てきてくれるかは完全に未知数で、
仮に出てきてくれていたとしても、その前に今川軍前衛がいて、それを守護していたら、
それこそ信長の計画は厳しいと思う。
さらに、これまた上記179にも似た事書いたように、義元本陣が大高城にでもいたら、それこそ信長の計画はお手上げ、っていう事になってしまうと思う。
そもそも、信長公記においての桶狭間の描写を基にしてさえ、豪雨が来なかったら、
信長勢が今川義元本陣に勝てたか疑問に思うし、不確定要素が多すぎると思う。
そもそも、上記179にも似た事書いたように、今川義元本陣が桶狭間山まで移動したのは、
丸根鷲津が攻略された後のように思うので、
信長公記において、信長が丸根、鷲津の砦が攻撃された事を報告され、急いで城を出た時点では、
義元本陣は桶狭間山になんかいなかったと思う。
この時点で、丸根、鷲津が攻略された後に、今川軍前衛の松平勢が後方に下がり、
今川義元本陣が桶狭間山にまで出てくる事を想定可能な情報なんか、特にない様に思う。
なので、信長は特にそんな事を当てにしないで、上記179にも似た事書いたように、
丸根、鷲津を攻略した後の今川軍前衛が、
順当に引き続いて前に出てくる事を想定し、疲弊したその軍勢を攻撃して勝利しようとしていた、
っていうだけに思う。
>>180
>信長が今川義元本陣を狙おうと思うのは結構だけど、
それを可能にするには、今川義元本陣が、信長がそれを攻撃可能な位置や状況にいないと厳しいように思う。
>今川義元本陣が、そんな都合いい場所に出てきてくれるかは完全に未知数で、
仮に出てきてくれていたとしても、その前に今川軍前衛がいて、それを守護していたら、
それこそ信長の計画は厳しいと思う。
織田信長が桶狭間の戦いの後の論功行賞で、義元の首を取った毛利新助ではなく、今川軍の位置を信長に知らせた簗田政綱(天正年間に信長の有力武将として活躍した簗田広正の父とされる)が勲功第一とされたという、『信長記』等における逸話である。
そもそも今が義元は見晴らしのいい桶狭間山に陣を取っていた
これは信長の計画通りだった
つまり豪雨がなければ迂回しなければなかった
>『信長公記』によれば信長自身、中嶋砦に入ったところで敵中に突出することを諌める家臣に向かって、敵は丸根、鷲津砦を攻撃した直後で疲れきっているはずであり、戦場に到着したばかりの新手の織田軍がしかければたやすく打ち破れるはずであるという主旨の発言をしている。
これはなんとか味方を動かすための詭弁
>>179
>しかし、上記161や上記にあるように、移動途中で丸根、鷲津が攻略された事を知った信長は、
>戦略を変更し、丸根鷲津を攻略してさらに疲弊した今川軍前衛を攻撃して戦果にしようとし、周囲の今川勢を探した所、
>自身達から近くにいる、桶狭間山にいる今川の軍勢を、その前衛だと思い込んだ、っていうだけに思う。
ええ?信長はなぜか?桶狭間山にある本陣をまっすぐ狙っているぞ?
丸根、鷲津を取るのなら後ろから攻撃だろうが
その場合には挟み撃ちになる
桶狭間山に義元がいないのに突っ込めば丸根、鷲津の兵がやがて気がついて挟み撃ちにされる
そんなアホな作戦で桶狭間山に突っ込んだのかよ?
まずありえないよな
どっちを攻撃するにしても自爆
元から桶狭間山に義元がいないとわかっているのなら攻撃はしないはずなんだがな
>信長が今川義元本陣を狙おうと思うのは結構だけど、
それを可能にするには、今川義元本陣が、信長がそれを攻撃可能な位置や状況にいないと厳しいように思う。
>今川義元本陣が、そんな都合いい場所に出てきてくれるかは完全に未知数で、
仮に出てきてくれていたとしても、その前に今川軍前衛がいて、それを守護していたら、
それこそ信長の計画は厳しいと思う。
織田信長が桶狭間の戦いの後の論功行賞で、義元の首を取った毛利新助ではなく、今川軍の位置を信長に知らせた簗田政綱(天正年間に信長の有力武将として活躍した簗田広正の父とされる)が勲功第一とされたという、『信長記』等における逸話である。
そもそも今が義元は見晴らしのいい桶狭間山に陣を取っていた
これは信長の計画通りだった
つまり豪雨がなければ迂回しなければなかった
>『信長公記』によれば信長自身、中嶋砦に入ったところで敵中に突出することを諌める家臣に向かって、敵は丸根、鷲津砦を攻撃した直後で疲れきっているはずであり、戦場に到着したばかりの新手の織田軍がしかければたやすく打ち破れるはずであるという主旨の発言をしている。
これはなんとか味方を動かすための詭弁
>>179
>しかし、上記161や上記にあるように、移動途中で丸根、鷲津が攻略された事を知った信長は、
>戦略を変更し、丸根鷲津を攻略してさらに疲弊した今川軍前衛を攻撃して戦果にしようとし、周囲の今川勢を探した所、
>自身達から近くにいる、桶狭間山にいる今川の軍勢を、その前衛だと思い込んだ、っていうだけに思う。
ええ?信長はなぜか?桶狭間山にある本陣をまっすぐ狙っているぞ?
丸根、鷲津を取るのなら後ろから攻撃だろうが
その場合には挟み撃ちになる
桶狭間山に義元がいないのに突っ込めば丸根、鷲津の兵がやがて気がついて挟み撃ちにされる
そんなアホな作戦で桶狭間山に突っ込んだのかよ?
まずありえないよな
どっちを攻撃するにしても自爆
元から桶狭間山に義元がいないとわかっているのなら攻撃はしないはずなんだがな
>>186
それは普通に信長公記の描写で説明がつくと思うけど。
>>162にも似た事書いたように、信長勢が移動してきた時に、ちょうどよく豪雨の通り雨が来て、
それが今川本陣勢にとっては前から当たる豪雨で、前方の確認や備えがうまくできない状況になって、
そこを織田勢に襲撃されて崩され、義元はその豪雨でぬかるんだ道を逃げる時に、うまく逃げきれずにやられた、
で十分理解可能だと思う。
>>188 >>182
>『信長記』等に
これってまさか甫庵信長記の事?創作色が強いと思われる、この資料を信長公記より上位に置くのはどうかと思うし、
甫庵信長記でも、君が言うような事を梁田がしてたかなあ?と疑問に思う。
俗説の類の話をしてない?と思えてしまうんだけど。
それは普通に信長公記の描写で説明がつくと思うけど。
>>162にも似た事書いたように、信長勢が移動してきた時に、ちょうどよく豪雨の通り雨が来て、
それが今川本陣勢にとっては前から当たる豪雨で、前方の確認や備えがうまくできない状況になって、
そこを織田勢に襲撃されて崩され、義元はその豪雨でぬかるんだ道を逃げる時に、うまく逃げきれずにやられた、
で十分理解可能だと思う。
>>188 >>182
>『信長記』等に
これってまさか甫庵信長記の事?創作色が強いと思われる、この資料を信長公記より上位に置くのはどうかと思うし、
甫庵信長記でも、君が言うような事を梁田がしてたかなあ?と疑問に思う。
俗説の類の話をしてない?と思えてしまうんだけど。
>>190
いいや義元軍は信長軍になぜか囲まれて攻撃されているぞ
それが数回繰り返さたことで50騎になりやられている
信長公記の描写でも説明できないところは多々あるからな
他のいろいろな記録を見てみないと全体像は把握できないぞ
いいや義元軍は信長軍になぜか囲まれて攻撃されているぞ
それが数回繰り返さたことで50騎になりやられている
信長公記の描写でも説明できないところは多々あるからな
他のいろいろな記録を見てみないと全体像は把握できないぞ
>>182
だから、>>179にも似た事書いたように、順当に信長は、
大高城に兵糧運び込みを行い、丸根、鷲津を攻略して疲弊した今川軍前衛が、
そのまま前進して桶狭間山にいると思って、それを攻撃して勝利する、っていう事を考えて、
それを実行しようとしただけに思うけど。
>>195とかにも似た事書いたように、信長が桶狭間山にいる今川勢に向かおうとした時点で、
信長が今川勢本陣の所在に関する情報を得ていたと思しき記述は、少なくとも、信長公記を読む限りでは、
ないように思う。
何を言ってるの?君。
信長は、丸根鷲津が攻略された後で、桶狭間山に今川勢前衛がいると思って、
それを攻撃しようとした、っていうだけの話だと思うし、
君の言い方で言うなら、桶狭間山に今川義元本陣がいたって、
丸根鷲津を抑えている今川勢の救援は想定しないといけない、っていう話になると思う。
桶狭間山に義元本陣がいる状況でだけ、他の今川勢が動かない、なんていう話は無いと思うけど、どうなの。
実際には、距離的にも戦闘時間的にも、すぐに駆けつけてくるのが厳しかった、っていうだけに思うし、
信長もそれを想定していたからこそ、特に信長公記でも、それに言及してないんだと思う。
だから、>>179にも似た事書いたように、順当に信長は、
大高城に兵糧運び込みを行い、丸根、鷲津を攻略して疲弊した今川軍前衛が、
そのまま前進して桶狭間山にいると思って、それを攻撃して勝利する、っていう事を考えて、
それを実行しようとしただけに思うけど。
>>195とかにも似た事書いたように、信長が桶狭間山にいる今川勢に向かおうとした時点で、
信長が今川勢本陣の所在に関する情報を得ていたと思しき記述は、少なくとも、信長公記を読む限りでは、
ないように思う。
何を言ってるの?君。
信長は、丸根鷲津が攻略された後で、桶狭間山に今川勢前衛がいると思って、
それを攻撃しようとした、っていうだけの話だと思うし、
君の言い方で言うなら、桶狭間山に今川義元本陣がいたって、
丸根鷲津を抑えている今川勢の救援は想定しないといけない、っていう話になると思う。
桶狭間山に義元本陣がいる状況でだけ、他の今川勢が動かない、なんていう話は無いと思うけど、どうなの。
実際には、距離的にも戦闘時間的にも、すぐに駆けつけてくるのが厳しかった、っていうだけに思うし、
信長もそれを想定していたからこそ、特に信長公記でも、それに言及してないんだと思う。
>>236
そういう問題じゃなくて、>>233にあるような感じで、
信長公記を読む限りだと、その時に信長が得られた情報や、
今川勢の状況からして、城を出た時点で、>>180にも似た事書いたように、
桶狭間山に今川勢本陣はいなかったと思われるのに、
それを標的にして信長が向かう事なんかあり得ないと思われる、っていう話なんだけど。
そもそも、>>179にも似た事書いたように、城を出た時点では、信長には今川勢本陣の情報なんか入ってないように思うけど。
経験があったら、超能力者になれるわけじゃないと思うんだけど。
経験あろうとなかろうと、その時点では桶狭間山にいなかったと思われる敵を目標にして
城を飛び出す人はいないと思うし、知りもしない事や、蓋然性が低いと思われる事で戦略を立てる人も少ないだろう、っていう話なんだけど。
信長は単にその時の戦力で冷静に自身達が勝てそうな、疲弊した今川前衛を標的にしてただけに思うんだけど、
信長公記を読むと。
そういう問題じゃなくて、>>233にあるような感じで、
信長公記を読む限りだと、その時に信長が得られた情報や、
今川勢の状況からして、城を出た時点で、>>180にも似た事書いたように、
桶狭間山に今川勢本陣はいなかったと思われるのに、
それを標的にして信長が向かう事なんかあり得ないと思われる、っていう話なんだけど。
そもそも、>>179にも似た事書いたように、城を出た時点では、信長には今川勢本陣の情報なんか入ってないように思うけど。
経験があったら、超能力者になれるわけじゃないと思うんだけど。
経験あろうとなかろうと、その時点では桶狭間山にいなかったと思われる敵を目標にして
城を飛び出す人はいないと思うし、知りもしない事や、蓋然性が低いと思われる事で戦略を立てる人も少ないだろう、っていう話なんだけど。
信長は単にその時の戦力で冷静に自身達が勝てそうな、疲弊した今川前衛を標的にしてただけに思うんだけど、
信長公記を読むと。
>>241
眠いから寝るわ
今度から書くときはわかりやすくして書いてくれ
こっちの予想を超えるわけのわからん書き込みが多いからな
眠いから寝るわ
今度から書くときはわかりやすくして書いてくれ
こっちの予想を超えるわけのわからん書き込みが多いからな
信長公記首巻を鵜呑みにしてしまうと
既に落ちた自軍の拠点より先に進んでるけど
その拠点を落とした部隊を攻めようとした
というちょいと不思議な状況なんよね
なので首巻には何らかの錯誤や創作がある
と考えた方がいいんではないかな
既に落ちた自軍の拠点より先に進んでるけど
その拠点を落とした部隊を攻めようとした
というちょいと不思議な状況なんよね
なので首巻には何らかの錯誤や創作がある
と考えた方がいいんではないかな
>>264
別に不可解な話じゃないんじゃない?
>>263や>>260とかにあるような感じで、単にそれまでの戦いで疲弊した今川前衛が、ある程度それまでの主戦場から離れた位置で休息してる、
と考えても不思議じゃないと思う。
というか、上記263とかにもあるような感じで、信長公記を基にするなら、
信長や、その説明を受けた信長の家臣達も、その事を特に疑ってないように思うので、そんな不可解な話でもないように思うけど。
別に不可解な話じゃないんじゃない?
>>263や>>260とかにあるような感じで、単にそれまでの戦いで疲弊した今川前衛が、ある程度それまでの主戦場から離れた位置で休息してる、
と考えても不思議じゃないと思う。
というか、上記263とかにもあるような感じで、信長公記を基にするなら、
信長や、その説明を受けた信長の家臣達も、その事を特に疑ってないように思うので、そんな不可解な話でもないように思うけど。
>>265
疲弊した兵をさらに移動させて野営させんの?
やっぱ奇妙な想定に思えるけどな
疲弊した兵をさらに移動させて野営させんの?
やっぱ奇妙な想定に思えるけどな
>>270
>そして砦救援の目標から、砦を攻略するまでの戦いで疲弊した今川勢前衛(松平勢とかの)を攻撃して倒す事に目標を変更した、
>そして、その今川勢前衛(松平勢とかの)らしき軍勢を探した所、桶狭間山にいる軍勢をそうだと思った
もう一度地図を見返してみろ
よくそんなデタラメが言えるな
>そして砦救援の目標から、砦を攻略するまでの戦いで疲弊した今川勢前衛(松平勢とかの)を攻撃して倒す事に目標を変更した、
>そして、その今川勢前衛(松平勢とかの)らしき軍勢を探した所、桶狭間山にいる軍勢をそうだと思った
もう一度地図を見返してみろ
よくそんなデタラメが言えるな
お久しぶり。
>>271 >>275
うん、だからさあ、君がそんな事を書いたって、>>263に似た事書いてあるように、
信長公記において、実際に織田家臣達は信長がそのように説明したことで、
特に疑問を抱かずに納得してるように思われるのに、
400年以上たった後の、当時の現状も地形も知らないと思われる君が、
勝手にそんな事を言ったってしょうがないと思うんだけど。
君が地図を見て思った事は、君がそう思っただけの話に思うから、
それを優先させるには、妥当な論拠が必要に思うんだけど、どうなの。
>>271 >>275
うん、だからさあ、君がそんな事を書いたって、>>263に似た事書いてあるように、
信長公記において、実際に織田家臣達は信長がそのように説明したことで、
特に疑問を抱かずに納得してるように思われるのに、
400年以上たった後の、当時の現状も地形も知らないと思われる君が、
勝手にそんな事を言ったってしょうがないと思うんだけど。
君が地図を見て思った事は、君がそう思っただけの話に思うから、
それを優先させるには、妥当な論拠が必要に思うんだけど、どうなの。
>>272
だからさあ、それも>>216で似たような事書いてあると思うけど、
今川勢に所属してる事を示す旗(例えば、武田家では武田菱の旗)は、
今川勢に所属してる軍勢は普通に持ってるだろうから、
それを持ってる事で今川勢前衛なのか、本陣なのかの判別は厳しいと思うんだけど。
実際に、信長公記を基にするなら、信長は普通に今川勢前衛(松平勢とかの)と本陣を普通に誤認してるように思うし、
>>278とかにも似た事書いたように、信長家臣達も信長の説明で納得してるように思うんだけど。
お願いだから、もう少し相手側の論旨とかを読んでから書き込みして欲しいと思うかな。
具体的に、いつそんな事をしたというのかな。
これも>>179 >>180でたっぷりと似た事が書いてあると思うけど、
信長公記を基にするなら、信長が城から出撃したのは、
丸根鷲津の砦が攻撃された事を伝えられての事に思うので、
順当に考えるなら、信長は丸根、鷲津の砦の救援に向かう為に出撃したと思われるんだけど。
この状況で今川義元本陣がどこにいたのか、信長公記には記述がないように思うし、
信長も特に調べた形跡は、少なくとも信長公記にはないように思う。
それで、信長公記を基にするなら、信長は丸根、鷲津の救援に向かって移動する途中で、
それが攻略されたと思しき煙から、二つの砦が攻略された事を知ったように思うので、
この時点までの信長は、普通に丸根、鷲津の砦の救援が目標で、今川勢本陣の事なんか探ろうともしてないように思うんだけど、どうなの。
そもそも、これまた上記180にも似た事書いてあるように、
信長が城を出撃する時か、それ以前かに義元本陣を探したって(信長公記にはそんな記述ないように思うけど。)、
仮に首尾よくその位置を把握したって、信長がそこに到着するまでに義元本陣が移動したりする可能性は高いでしょ。
(実際に、信長公記を基にするなら、信長が城を出撃した時に、義元本陣が桶狭間山にいたのかは疑問、少なくとも信長公記では不確定に思える。)
仮に大高城にでも入られてたら、それこそ信長にはどうしようもないと思うので、
そんなものをわざわざ当てにするより、信長公記を基にするなら、大高城に兵糧を運び込み、
丸根、鷲津の砦を攻略して疲弊した、前線やその近辺にいる可能性が高い今川勢前衛(松平勢などの)を
狙う方がよっぽど勝てる可能性が高いと思うのは、常識的だけど、妥当な判断だと思うけど。
お願いだから、もう少し相手の書き込みを確認してから、書き込みをして欲しいと思うかな。
だからさあ、それも>>216で似たような事書いてあると思うけど、
今川勢に所属してる事を示す旗(例えば、武田家では武田菱の旗)は、
今川勢に所属してる軍勢は普通に持ってるだろうから、
それを持ってる事で今川勢前衛なのか、本陣なのかの判別は厳しいと思うんだけど。
実際に、信長公記を基にするなら、信長は普通に今川勢前衛(松平勢とかの)と本陣を普通に誤認してるように思うし、
>>278とかにも似た事書いたように、信長家臣達も信長の説明で納得してるように思うんだけど。
お願いだから、もう少し相手側の論旨とかを読んでから書き込みして欲しいと思うかな。
具体的に、いつそんな事をしたというのかな。
これも>>179 >>180でたっぷりと似た事が書いてあると思うけど、
信長公記を基にするなら、信長が城から出撃したのは、
丸根鷲津の砦が攻撃された事を伝えられての事に思うので、
順当に考えるなら、信長は丸根、鷲津の砦の救援に向かう為に出撃したと思われるんだけど。
この状況で今川義元本陣がどこにいたのか、信長公記には記述がないように思うし、
信長も特に調べた形跡は、少なくとも信長公記にはないように思う。
それで、信長公記を基にするなら、信長は丸根、鷲津の救援に向かって移動する途中で、
それが攻略されたと思しき煙から、二つの砦が攻略された事を知ったように思うので、
この時点までの信長は、普通に丸根、鷲津の砦の救援が目標で、今川勢本陣の事なんか探ろうともしてないように思うんだけど、どうなの。
そもそも、これまた上記180にも似た事書いてあるように、
信長が城を出撃する時か、それ以前かに義元本陣を探したって(信長公記にはそんな記述ないように思うけど。)、
仮に首尾よくその位置を把握したって、信長がそこに到着するまでに義元本陣が移動したりする可能性は高いでしょ。
(実際に、信長公記を基にするなら、信長が城を出撃した時に、義元本陣が桶狭間山にいたのかは疑問、少なくとも信長公記では不確定に思える。)
仮に大高城にでも入られてたら、それこそ信長にはどうしようもないと思うので、
そんなものをわざわざ当てにするより、信長公記を基にするなら、大高城に兵糧を運び込み、
丸根、鷲津の砦を攻略して疲弊した、前線やその近辺にいる可能性が高い今川勢前衛(松平勢などの)を
狙う方がよっぽど勝てる可能性が高いと思うのは、常識的だけど、妥当な判断だと思うけど。
お願いだから、もう少し相手の書き込みを確認してから、書き込みをして欲しいと思うかな。
>>283
>この時点までの信長は、普通に丸根、鷲津の砦の救援が目標で、今川勢本陣の事なんか探ろうともしてないように思うんだけど、どうなの。
今川との闘いなのに今川本陣を把握しようともしないなんて逆におかしいだろうよ
>この時点までの信長は、普通に丸根、鷲津の砦の救援が目標で、今川勢本陣の事なんか探ろうともしてないように思うんだけど、どうなの。
今川との闘いなのに今川本陣を把握しようともしないなんて逆におかしいだろうよ
大高入りの蓋然性について
付近で安全に休息できるという意味では最適地だ
元々今川の勢力圏内であるし大高に別の将が入っても
大高方面に陣を敷いた方が味方にも近い
桶狭間古戦場近辺は実際に戦場になった通り
決して安全でも優位な地形でもない
現在の道でも両砦から1時間程度かかる
付近で安全に休息できるという意味では最適地だ
元々今川の勢力圏内であるし大高に別の将が入っても
大高方面に陣を敷いた方が味方にも近い
桶狭間古戦場近辺は実際に戦場になった通り
決して安全でも優位な地形でもない
現在の道でも両砦から1時間程度かかる
>>321
大高城に他の今川の武将が入っているなら、信長公記や三河物語を基にした場合、
それまでの戦闘で疲弊していたと思われる松平勢が、ろくな防御地形もない所で、
野ざらしで休むというのは、厳しい様に思うけど、どうなの。
>安全でも優位な地形でもない
桶狭間山について、僕は上記のように、そこまでよくない地形とは思わないけど、
(三河物語でも、信長公記でも、今川義元本陣勢が信長勢に敗北したのは、
急な豪雨が一因のように思える。)
仮に君がそのように思い、それが妥当であると仮にした場合、
そのような場所に今川本陣勢が来ているとは、
さすがに織田側は思わないんじゃないかな。
仮に君の主張通りなら、そんなよくない地勢の所にわざわざ布陣しているのは、
今川軍の本陣ではなく前衛だと織田側が思うのは妥当、という話になりそうに思うけど、どうなの。
大高城に他の今川の武将が入っているなら、信長公記や三河物語を基にした場合、
それまでの戦闘で疲弊していたと思われる松平勢が、ろくな防御地形もない所で、
野ざらしで休むというのは、厳しい様に思うけど、どうなの。
>安全でも優位な地形でもない
桶狭間山について、僕は上記のように、そこまでよくない地形とは思わないけど、
(三河物語でも、信長公記でも、今川義元本陣勢が信長勢に敗北したのは、
急な豪雨が一因のように思える。)
仮に君がそのように思い、それが妥当であると仮にした場合、
そのような場所に今川本陣勢が来ているとは、
さすがに織田側は思わないんじゃないかな。
仮に君の主張通りなら、そんなよくない地勢の所にわざわざ布陣しているのは、
今川軍の本陣ではなく前衛だと織田側が思うのは妥当、という話になりそうに思うけど、どうなの。
>>334
だからね、>>333にも似た事書いてあるように、
義元本陣勢だって、それに所属するいくつもの家の軍勢が、それぞれの旗印をもって参加してて、
今川家全体を表す旗も持って参加してると思う。
このような状況で、義元本陣勢だって、義元の直轄部隊が最前列にいるわけじゃなくて、他の家の軍勢が最前列とか、第2陣とかを固めてて、
それらが旗を立てていると思われ、それらのさらに後方にいると思われる、義元本陣勢の旗印まで確認するのは、
色々と厳しいんじゃないかと思う。
信長公記の記述を読むと、信長が自身達が戦っているのが義元本陣勢である事に気が付いたのは、
個人的には、義元本陣勢が敗北し、本陣にあった塗輿を確認して以降に思える。
なので、個人的にはそれまでは、桶狭間山にいる軍勢を、義元本陣だと思う根拠を、少なくとも信長公記を読む限りでは、
信長は持っていなかったように思うけど、どうなの。
だからね、>>333にも似た事書いてあるように、
義元本陣勢だって、それに所属するいくつもの家の軍勢が、それぞれの旗印をもって参加してて、
今川家全体を表す旗も持って参加してると思う。
このような状況で、義元本陣勢だって、義元の直轄部隊が最前列にいるわけじゃなくて、他の家の軍勢が最前列とか、第2陣とかを固めてて、
それらが旗を立てていると思われ、それらのさらに後方にいると思われる、義元本陣勢の旗印まで確認するのは、
色々と厳しいんじゃないかと思う。
信長公記の記述を読むと、信長が自身達が戦っているのが義元本陣勢である事に気が付いたのは、
個人的には、義元本陣勢が敗北し、本陣にあった塗輿を確認して以降に思える。
なので、個人的にはそれまでは、桶狭間山にいる軍勢を、義元本陣だと思う根拠を、少なくとも信長公記を読む限りでは、
信長は持っていなかったように思うけど、どうなの。
>>336
の
>義元本陣勢の旗印
は
義元直轄軍勢の旗印、に訂正をしておこうかな。
文章の前後の意味合いで考慮していけば、訂正しなくても理解できるんじゃないかと思うけど、
よりわかりやすくするために、一応訂正をしておく事にするかな。
の
>義元本陣勢の旗印
は
義元直轄軍勢の旗印、に訂正をしておこうかな。
文章の前後の意味合いで考慮していけば、訂正しなくても理解できるんじゃないかと思うけど、
よりわかりやすくするために、一応訂正をしておく事にするかな。
>>339
なんか違うと思うんだけどなあ。
もともとの話としては、>>312にも似た事書いてあるように、
君が>>291や>>295において、
相応の論拠やそれに基づいた論旨によってではなく、
数によって圧をかけようとしているように思われる事をした事が、
今回の話題の始まりに思うから、>>329にも似た事書いたように、君の理屈で言うなら、君は僕になんらかの謝罪をするべきに思うし、
その事について、君は答えてないように思う。
さらに言うと、上記312にも君の行動について、僕は指摘をしていて、
その事について、君は答えてないように思うのに、
そのように書くのはどうかと思う。
正直、君が気が付いているのかどうかは知らないが、君って結構特徴的なように思うから、
この件については、もっと話を進めるのもやぶさかではないけど、
君が普通に議論をする、というなら、これ以上込み入った話をしないで、普通に議論をしようと思うんだけど、どうなの。
なんか違うと思うんだけどなあ。
もともとの話としては、>>312にも似た事書いてあるように、
君が>>291や>>295において、
相応の論拠やそれに基づいた論旨によってではなく、
数によって圧をかけようとしているように思われる事をした事が、
今回の話題の始まりに思うから、>>329にも似た事書いたように、君の理屈で言うなら、君は僕になんらかの謝罪をするべきに思うし、
その事について、君は答えてないように思う。
さらに言うと、上記312にも君の行動について、僕は指摘をしていて、
その事について、君は答えてないように思うのに、
そのように書くのはどうかと思う。
正直、君が気が付いているのかどうかは知らないが、君って結構特徴的なように思うから、
この件については、もっと話を進めるのもやぶさかではないけど、
君が普通に議論をする、というなら、これ以上込み入った話をしないで、普通に議論をしようと思うんだけど、どうなの。
>>343
また数によって圧というレッテル貼かよ
いきなり自演がどうこう言い出したのもお前
それで自分は真面目に議論したいけど相手がとか
言っちゃ悪いけど不快以外の何者でもない
はっきり言うが卑怯そのものだ
以前そう言う話はしたくないとか(自分で始めといて)
言っておいて今回も結局そういうレッテル貼から
また数によって圧というレッテル貼かよ
いきなり自演がどうこう言い出したのもお前
それで自分は真面目に議論したいけど相手がとか
言っちゃ悪いけど不快以外の何者でもない
はっきり言うが卑怯そのものだ
以前そう言う話はしたくないとか(自分で始めといて)
言っておいて今回も結局そういうレッテル貼から
>>343
また数によって圧というレッテル貼かよ
いきなり自演がどうこう言い出したのもお前
それで自分は真面目に議論したいけど相手がとか
言っちゃ悪いけど不快以外の何者でもない
はっきり言うが卑怯そのものだ
以前そう言う話はしたくないとか(自分で始めといて)
言っておいて今回も結局そういうレッテル貼から
また数によって圧というレッテル貼かよ
いきなり自演がどうこう言い出したのもお前
それで自分は真面目に議論したいけど相手がとか
言っちゃ悪いけど不快以外の何者でもない
はっきり言うが卑怯そのものだ
以前そう言う話はしたくないとか(自分で始めといて)
言っておいて今回も結局そういうレッテル貼から
>>349
またそうやって、変な事を書いているように思うけど、
実際に議論の流れとして、>>340にも似た事書いてあるように、
君が>>291や>>295において、論拠や論旨ではなく、数によって圧をかけようとしていると思われる行動を、
しているように僕には思われ、それは今のこの話題のはじめだと思うのに、
君がそんな事を書くのはどうかと思う。
それもさあ、また変な風に僕の書き込みを解釈しようとしてるように思うんだけど、
僕は、君が不可解な事を書くなら、こちらとしてもそれについて反論をしていくしかないように思うんだけど。
君が今書いている事は、>>343で僕が書いている事と趣旨が違うように思うんだけど、どうなの。
>卑怯
君は上記の一段落にあるような、議論の経緯において、指摘されているとしても、
都合のよくない所は答えないようにしているように思われるし、
上記343で聞かれてる事にも答えてないように思うけど、
それでそんな事を書くのはどうかと思う。
正直、上記343にも似た事書いたけど、君って自身が気が付いているのかはともかく、
かなり特徴的に思うんだけど。
またそうやって、変な事を書いているように思うけど、
実際に議論の流れとして、>>340にも似た事書いてあるように、
君が>>291や>>295において、論拠や論旨ではなく、数によって圧をかけようとしていると思われる行動を、
しているように僕には思われ、それは今のこの話題のはじめだと思うのに、
君がそんな事を書くのはどうかと思う。
それもさあ、また変な風に僕の書き込みを解釈しようとしてるように思うんだけど、
僕は、君が不可解な事を書くなら、こちらとしてもそれについて反論をしていくしかないように思うんだけど。
君が今書いている事は、>>343で僕が書いている事と趣旨が違うように思うんだけど、どうなの。
>卑怯
君は上記の一段落にあるような、議論の経緯において、指摘されているとしても、
都合のよくない所は答えないようにしているように思われるし、
上記343で聞かれてる事にも答えてないように思うけど、
それでそんな事を書くのはどうかと思う。
正直、上記343にも似た事書いたけど、君って自身が気が付いているのかはともかく、
かなり特徴的に思うんだけど。
>>366
それについては、>>354にも似た事書いたように、信長公記の、桶狭間山にいる今川の軍勢を信長が
今川前衛と判断した事については、信長公記を基にするなら、いわば(結果として)信長の盛大な勘違いであったわけで、
それを糊塗しないで書いている事からも、そこに虚飾はないように思うけど。
これまた上記354に似た事書いたように、信長が、信長公記において、桶狭間山にいる今川勢を、
今川前衛と判断した事については、当時の情報収集方法の限界と、それで得られた情報を基に、
>>344に書かれてるような感じの、常識的な推論を基にした結果だと思われるから、
そんなに無理がないように思うけど、どうなの。
それについては、>>354にも似た事書いたように、信長公記の、桶狭間山にいる今川の軍勢を信長が
今川前衛と判断した事については、信長公記を基にするなら、いわば(結果として)信長の盛大な勘違いであったわけで、
それを糊塗しないで書いている事からも、そこに虚飾はないように思うけど。
これまた上記354に似た事書いたように、信長が、信長公記において、桶狭間山にいる今川勢を、
今川前衛と判断した事については、当時の情報収集方法の限界と、それで得られた情報を基に、
>>344に書かれてるような感じの、常識的な推論を基にした結果だと思われるから、
そんなに無理がないように思うけど、どうなの。
>>367
すまん何が言いたいのかわからんわ
「それについて」てどれについて?
「どうなの」って何が?
あんたが信長公記の小説的な記述を
全て信じ込みたいという気持ちなら
普通に伝わってるぞ
でも小説的な記述だなという印象は
何一つ変わらない
その中で信長が勘違いをしてるから真実だとか
乱暴な推論をしてるのを常識だとか言われても・・・
としか思わん
すまん何が言いたいのかわからんわ
「それについて」てどれについて?
「どうなの」って何が?
あんたが信長公記の小説的な記述を
全て信じ込みたいという気持ちなら
普通に伝わってるぞ
でも小説的な記述だなという印象は
何一つ変わらない
その中で信長が勘違いをしてるから真実だとか
乱暴な推論をしてるのを常識だとか言われても・・・
としか思わん
信長本人に取材したわけではないのだろうから
記述自体が正確でないのは仕方ないのでは?
取材対象が
義元の本陣強襲部隊の中で本陣前衛に突撃した
人だった。
信長自身は更にそこから兵を割って義元の首を獲りにいった。
本陣突入は企図。成功は運。
記述自体が正確でないのは仕方ないのでは?
取材対象が
義元の本陣強襲部隊の中で本陣前衛に突撃した
人だった。
信長自身は更にそこから兵を割って義元の首を獲りにいった。
本陣突入は企図。成功は運。